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「アンディ・ウォーホル」
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「アンディ・ウォーホル」作家略歴



  1928年  8月6日、アメリカ合衆国北東部のペンシルヴァニア州ピッツバーグでスロヴァキアの

         移民の家に生まれる。(一説に、1930年生まれ。)

         本名、アンドリュー・ウォーホラ、幼い頃から絵が上手であったが、恐慌の影響で

         家庭は非常に貧しかったそうです。体が虚弱だったウォーホルは家でラジオを聞いたり、

         本やマンガを読むことが多く、スーパーマン、ポパイ、バットマンに憧れる絵が得意な

         少年だった。

  1942年  父が死去。

  1945年  貧困のためトラックで八百屋などのアルバイトをしながらピッツバーグのシェンリー

         高校を卒業後、カーネギー工科大学に入学。絵画等を専攻する。

  1948年  このころ、ピッツバーグのジョゼフ・ホーン・ストアでウィンド装飾の仕事に携わる。

  1949年  カーネギー工科大学を卒業、美術学士号を取得。

         21歳でにニューヨークに引っ越し、 22歳で商業アーティストとしての仕事を開始する

         が最初の個展は一点も売れなかった。

  1950年  50年代のウォーホルは、アイ・ミラー社の靴の広告、雑誌「ヴォーグ」「ハーパース

         バザー」の広告イラストをはじめコロムビアのレコードジャケット、ティファニー宝石

         店のウィンド装飾などを手がけ、商業デザインで地歩を固める。

  1952年  初の個展をニューヨーク、ヒューゴー画廊で開催。「ニューヨーカー」派の作家

         トルーマン・カポーティーの小説を題材としたドゥローイング15点を出品。

         初めてアンディ・ウォーホルと名乗る。

  1954年  イラスト集「サムという名の25匹の猫と1匹の青い仔猫ちゃん」を刊行。

  1955年  27歳の時I.ミラー靴店が毎週新聞に掲載する宣伝のデザインの注文を受け、その後I.

         ミラー靴店の宣伝で賞を取ったりすることで名がしれはじめ展覧会で成功を収めるよう
 
         になる。

  1956年  友人リザンビィと共に40余日をかけて世界一周旅行。個展=ニューヨーク:パドレイ

         画廊[少年たち]・[黄金の靴]

  1957年  靴の広告デザインで〈アート・ディレクターズ・クラブ・メダル〉を受賞。

         個展=ニューヨーク:パドレイ画廊[黄金の絵画展]

  1958年  個展=ニューヨーク:パドレイ画廊[アメリカの黄金のスリッパと靴]

  1959年  個展=ニューヨーク:パドレイ画廊[食物]

  1960年  このころ、30年代の探偵漫画「ディック・トレイシー」シリーズなどの連続漫画や広告

         からヒントを得た〈絵画〉の制作に専念する。

  1961年 「アミィ・ヴァンダービルドの完全な料理書」の挿図を制作。

         画商で室内装飾家のミュリエル・レイトウからキャンベル・スープ缶とドル紙幣を描く

         アイデアを買い取り 、翌年シルクスクリーンの可能性を発見し、後、スープ缶、野球、

         映画、ポップスターなどのシルクスクリーンの絵を発表していく。

               ポップアートと呼ばれるこれらの作品は大衆が日々あこがれ親しんだ身のまわりのもの

         を、簡潔に作品化して芸術として示したもので、32歳で絵に本格的に取り組みはじめ

         宣伝やコマ漫画からイメージを借用し、大衆文化のオブジェを描きはじめ、これが大衆

         の支持を集めることになる。


  1962年  個展[キャンベル缶シリーズ]をロサンジェルス、フェラス画廊で開催するが散々な評判

         であった。

         シルクスクリーンと出会い、マリリン・モンローの死に出会う。

         最初のシルクスクリーン・ペインティング作品を制作する。そして個展をニューヨーク

         :ステーブル画廊で開催。大成功を収め、一躍スターとなる。

         [ニュー・リアリスト展]がニューヨーク:シドニー・ジャニス画廊で開催され〈ポップ

         ・アート〉の旗上げとなる。

  1963年  消防署と呼ばれたスタジオから移転して〈ファクトリー〉(仕事場)を開設する。

         最初の映画を製作する。やがてアンダー・グラウンド・シネマの中心的な存在となり、

         あわせて約150本の映画を製作することになる。

         イースト47丁目231番地のロフトのスタジオに引っ越し、そこは通称‘ファクトリー’

               と呼ばれ、この場所には各界のスーパースターなどいろいろな分野の才能が集まって

               きた。アート、映画、音楽、ファッションと、‘ファクトリー’の生んだ刺激的な文化

         や研ぎ澄まされた創造のスピリットが、その後の時代に与えた影響は大きく、30数年

         過ぎた今でもその輝きは色褪せていない。


  1964年  スケールの拡大とダブル・イメージの技法を試みる。

         個展=パリ:イレーナ・ゾンナーベント画廊[花シリーズ]。個展=ニューヨーク:レオ

         ・キャステリ画廊ほか。

  1965年  マス・メディアに進出する。

  1966年  個展=ニューヨーク:レオ・キャステリ画廊[雲ー浮かぶ彫刻]ヘリウム彫刻による展観。

         個展=ボストン:現代美術協会[アンディ・ウォーホル]ほか。

         映画「チェルシー・ガールズ」「☆☆☆☆」ほか。映画の最盛期を迎える。

  1967年  ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー・アルバムのジャケット・デザインを

         制作。 映画「ヌード・レストラン」「淋しいカウボーイたち」ほか。

  1968年  6月3日、ウォーホル映画に出演したことのあるヴァレリー・ソラナスという「全男性抹

         殺団」の一女性が暗殺目的で32口径の拳銃でウォーホルを銃撃。一時重体となるがコロ
 
         ンバス病院での5時間におよぶ大手術により一命をとりとめる。

         この狙撃事件はマスコミにセンセーショナルに報道される。7月28日退院する。

         60年代の‘ファクトリー’は、このウォーホルの突然の狙撃事件を機に急速に姿を変え

         ていき、同時にファクトリーのメンバーたちも次第にウォーホルのもとを離れていくこと
 
         になった。

         小説「a」をグロウブ・プレスから刊行、再び活動を開始する。

         第4回ドクメンタ(カッセル)に出展する。

         個展=ストックホルム:近代美術館[ウォーホル展]ほか。


  1969年  インタヴューで誌面全てを構成する月刊誌「インタヴュー」を創刊する。

         個展=ベルリン国立美術館、ニューヨーク:レオ・キャステリ画廊ほか。

         70年代には社交界からの注文で多くのポートレートを制作しています。トルーマン・カポー

         ティー、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、キャロライン王女など幅広い分野の

         有名人の依頼をこなしています。


  1970年  70年代に入ると、再びシルクスクリーンによる制作を開始。自ら撮った著名な有名人写真

         による肖像画を多作する。「ライフ」誌は、60年代に最も影響力のあった人物として、

         ビートルズとウォーホールを挙げる。

         最初の回顧展が翌年にかけて、パリ市立近代美術館、シカゴ現代美術館、テート・ギャラリー、

         ホイットニー美術館などを巡回する。

         大阪、万国博美術館展に〈花〉が出品される。

         70年代には社交界からの注文で多くのポートレートを制作しています。トルーマン・カポー

         ティー、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、キャロライン王女など幅広い分野の

         有名人の依頼をこなしています。


  1971年  デビット・ボウイ、即興歌「アンディ・ウォーホル」を発表。

         個展=ニューヨーク:ゴッタム・ブックマート画廊[アンディ・ウォーホール初期作品展]

         個展=ニューヨーク:デイヴィット・ホイットニー画廊[キャンベル・スープ缶U]ほか。

         日本で最初の個展(渋谷、西部百貨店)

  1972年  母、ピッツバーグで歿。社交界からの注文肖像画を手がけはじめる。

  1973年  個展=オハイオ:ニュー・ギャラリー、パリ:ミュゼ・ガレリアほか。

  1974年  ファクトリーをブロードウェー860に移転。

         個展=東京、神戸:大丸。この日本最初の回顧展のため来日する。

         個展=パリ:ミュゼ・ガレリア、ロンドン:メイヤー画廊ほか。

  1975年  「アンディ・ウォーホルの哲学」を刊行。

         個展=ボルチモア美術館ほか。

  1976年  [ドローイング1942-1975]展がシュツットガルト美術館、ウィーン:20世紀美術館を巡回。

  1977年  ドクメンタ6(カッセル)に出品。

         個展=ニューヨーク:レオ・キャステリ画廊[ハンマーと鎌]ほか

  1978年  個展=チューリッヒ美術館、ロンドン:現代美術協会ほか。

  1979年  個展=ホイットニー美術館[70年代のポートレート展]、ヘイナー・フライドリッチ

         画廊[影による個展]ほか。


  1980年  80年代のウォーホルは「アート・ビジネスマン」「ビジネス・アーチスト」としての展開

         をみせ個展開催が増大します。

        「ポッピズム〈ウォーホルの60年代〉」を刊行。


  1981年  個展=ウィーン:20世紀美術館[ウォーホル'80・・・リヴァーサル・シリーズ]ほか

  1982年  ドクメンタ7(カッセル)に〈酸化作用〉を出品。北京、西ベルリン、パリなどを旅行

         する。

         個展=ニューヨーク:レオ・キャステリ画廊ほか。

  1983年  ファクトリーを移転。冬季オリンピック・サラエボ大会のポスターを制作。

  1985年  ウォーホル・バスキア展(ニューヨーク:トニー・シャフラジィ画廊)

  1987年  1月 ニューヨーク:ロバートミラーギャラリーで初めてのウォーホル写真展が開催され

         ました。
     
         2月20日、ニューヨーク病院コーネル医療センターに入院。

         2月21日、胆嚢手術を行う。

         2月22日早朝、容態が急変し心臓発作のため死去。68歳

         突然心臓発作で急死するまで、ウォーホルは日本の家電メーカーのテレビCMに登場し

         たりファッションショーに出演したりして常にマスコミや社交界の注目を浴び続けてい

         ました。





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(Andy Warhol)