「田崎広助」
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「田崎広助」(たざきひろすけ)作家略歴


    1898年(明治31年) 福岡県八女郡北山村(現・立花町)に生まれる。本名は廣次。                    
    1911年 (明治44年)  4月、福岡県立八女中学入学。 
    1916年(大正 5年) 福岡県立八女中学卒業。 福岡師範学校第二部入学。
    1917年(大正 6年) 福岡師範学校第二部卒業。 
    1920年(大正 9年) 画家を志して家族の反対を押し切り上京。本郷駒本小学校図面教師となる。 
    1921年(大正10年) 京都関西美術院に学ぶ。
    1923年(大正12年) 関東大震災により、東京を引き払い京都に移る。
                       錦林小学校に勤めつつ、京都・聖護院の関西美術学校に学ぶ。 
    1924年(大正13年) 錦林小学校の同僚、黒田敏子と結婚。画業に専念。 
    1926年(大正15年) 第13回二科展に「森の道」「山百合」「京都吉田山」、3点が初入選。
    1927年 (昭和 2年)  9月、二科展初入選。
    1932年(昭和 7年) シベリア鉄道にて渡欧。この年より10年まで巴里滞在。パリのアトリエを
              拠点としてイタリア、スペインなどに写生旅行。サロン・ド・リーブルに出品。 
    1935年(昭和10年) 帰国。 9月、二科展に滞欧作7点を特別陳列。
    1936年(昭和11年) 第一回一水会展で受賞。 
    1937年(昭和12年) 練馬区豊玉にアトリエを構える。一水会創立とともに同会に所属。 
              第一回一水会展で入選。 
    1939年(昭和14年) 一水会委員となる。 
    1941年(昭和16年) 左分利賞受賞。 
    1949年(昭和24年) 日展審査員となる。 
    1950年(昭和25年) 「外輪山の阿蘇」文部省買い上げ。
    1958年(昭和33年) 改組日展の評議員、審査員となる。東京都美術館参与となる。 
    1961年(昭和36年) 「初夏の阿蘇山」ほかの連作に対し、日本芸術院賞受賞。 
    1967年(昭和42年) 芸術院会員となる。日展常任理事となる。 
    1968年(昭和43年) 勲三等瑞宝章を受章。 
    1969年(昭和44年) 改組日展の評議員・審査員となる。 
    1971年(昭和46年) 文化庁買上作品選考委員を委嘱される。 
    1973年(昭和48年) ブラジル政府から、グラン・クルーズ賞、コメンダドール・オフィシアール賞
             (最高名誉文化賞)を受賞。 
    1975年(昭和50年) 文化勲章を受章。  日展顧問となる。 
    1984年(昭和59年) 1月28日、逝去。85歳。 


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