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「有元利夫」作家略歴


有元利夫は豊かな才能で将来を期待されながら38歳という若さでこの世を去った
「夭逝の画家」有元利夫(1946〜1985)は疎開先の岡山県津山市小田中で有元吉民、
琴子の四男として生まれ、その後東京の下町である台東区谷中で育った。

私立駒込高等学校に進学し、2年生の時美術の講師として教鞭を取る版画家中林忠良
との出会いが芸術家を目指すさっかけとなり、東京芸術大学美術学部デザイン学科
に進学した。 在学中、日本画、彫刻、版画の研究室にも通い、さらには、音楽学
部にも足を運び様々なジャンルを幅広く吸収した。

 初めての海外旅行でフレスコ画と出会い強い衝撃を受け、そこに日本の仏画との
共通点を見いだし、岩絵具や箔などの技法を学び、それを画面の中に用いた独特の
技法を開発し、独自の絵画を創造していった。

 大学卒業後の3年間はデザイナーとしてのサラリーマン生活を経験し、自ら退職
し、その後は望んでいた自由な創作活動に入り、それにひたすら邁進、専念した。

1978年には具象絵画の登竜門といわれる安井賞において初の特別賞を受賞、さらに
1981年には安井賞を受賞し、その作品は高く評価され、将来を期待されながら絵画
に止まらず幅広い才能を発揮させながら活躍した。
(奈義町現代美術館での有元利夫展のパンフより 1998.11)

1946年(昭和21年)

9月23日、有元吉民・琴子の四男として一家の疎開先である岡山県 津山市小田中に生まれる。家族は祖母み子、父母、長兄真一、次兄靖男、三兄信夫

1947年(昭和22年)

生後3ヶ月余りの1月、祖母と母、そして3人の兄とともに上京

1952年(昭和27年)

4月、私立谷中幼稚園入園

1953年(昭和28年)

4月、台東区立谷中小学校入学。在校中、絵画コンクールに出品した 「友人(木版画)」が、最優秀賞に選ばれ知事賞を受ける

1959年(昭和34年)

4月、台東区立上野中学入学

1962年(昭和37年)

4月、私立駒込高等学校に進学。2年の終わりから、当時東京藝術大学の 大学院生だった版画家の中林忠良が、美術の時間講師として教鞭を取る。この中林との出会いは、有元を 芸術家への道に進ませるきっかけとなる

1965年(昭和40年)

3月、私立駒込高等学校卒業

1969年(昭和44年)

4月、東京藝術大学美術学部デザイン科入学。芸大在学中、日本画科、彫刻科、 版画研究室、さらには音楽学部にまで足を伸ばし、広く多方面に渡って吸収する

1971年(昭和46年)

3月、初めての海外旅行でヨーロッパへ。最初に足を踏み入れた地で、 フレスコ画・カタコンベの壁画に対面。深く心を動かされる。そしてフィレンツェ。フレスコ画と日本の 仏画に共通点を見出し、日本に帰ったら岩絵具をやってみようと決心する。一方、デザイン科全員で 古美術研究旅行をし、京都・奈良に残る多くの古美術を鑑賞

1972年(昭和47年)

丸山寿嗣、箕浦昇一、北村治、三井卓大、有元利夫の5人共同で朝日広告賞 および毎日広告賞に応募し、毎日広告賞で佳作に入選。4月に入り、卒業制作にとりかかる。ヨーロッパの 古典絵画や日本の仏画に強い興味を持っていたことから「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」と いう題で、10点連作の作品を作る。10月23日、電通に就職が決まったのを機に、東京藝術大学日本画科を 卒業していた渡辺容子と結婚。

1973年(昭和48年)

3月、同大学卒業。卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」 は大学買上げとなる。4月、電通に入社。7月、葉工房1回展(箕浦昇一と二人展)をギャルリー・ド・ ジョワイユで開く。

1974年(昭和49年)

6月、箕浦昇一と本格的な二人展をみゆき画廊で開く。「曙光」「運動する人」 などを出品

1975年(昭和50年)

2月、谷中の実家近くに初めて自分のアトリエを持つ。6月、初めての個展 をみゆき画廊にて開催。「こもりく」「重奏」「手品師」「麗色」「夜の居間」など18点出品

1976年(昭和51年)

1月、小品七人展がみゆき画廊にて開かれ「雲」「行く日」「飛行」など 5点出品。3月、大阪フォルム画廊東京展で個展。バロック音楽によせて、と題し「ロンド」「プレリュード」 「サラバンド」「ガボット」など15点出品。3月31日、電通退社。4月から母校の東京藝術大学で非常勤 講師をしながら、画業一本に打ち込む生活がはじまる。

1977年(昭和52年)

3月、日本画と洋画の仲間で六人展をみゆき画廊で開く。6月、大阪フォルム 画廊東京店で個展。初めての図録をつくる。「誕生」「古曲」など42点出品。出品作のうち「誕生」が彫刻の 森美術館に収蔵される。30歳ひとくぎりという意味の個展であった。このあと大阪、名古屋の大阪フォルム 画廊を巡回。この年、演劇評論家の松岡和子を知る。

1978年(昭和53年)

3月、池田政治・石川充宏・下川昭宜・森田やすこ・有元の5人の彫刻展を みゆき画廊で開く。「フェラーラ」「コケット」「音楽を聴く人」のブロンズ3点出品。4月、安井賞展に 「花降る日」と「古曲」を出品。「花降る日」が第21回安井賞特別賞受賞。「古曲」も賞候補となり、 この年、初めて選考委員会賞(特別賞)が設けられた。12月、初めての銅版画集『7つの音楽』(版画: 有元利夫,作曲:田鎖大志郎)発刊記念展を77ギャラリーで開催

1979年(昭和54年)

2月、第1回明日への具象展が日本橋島屋で開かれ「晴れた日の出来事」を 出品。同月、第31回立軌展がセントラル美術館で開かれ「花火のある部屋」「机の上の出来事」を招待出品。 翌年、立軌会会員に推されるが辞退する。5月、第3回具象現代展に「部屋の遊戯」「ある経験」の2点出品、 優秀賞受賞。9月、櫃田伸也との二人展・四季がギャルリーユマニテで開かれ「海からの来訪」「雲の手品」 などタブロー7点,デッサン4点出品。12月、有元利夫展を彩鳳堂画廊で開く。「占いのテーブル」「音楽 を聴く人」など18点出品。同月、どう料理するか・ワックス展が77ギャラリーで開かれ、銀の素材を使った アクセサリー類を制作する

1980年(昭和55年)

1月、第2回明日への具象展に「春」を出品。5月、第4回具象現代展、9月、 有元利夫展を彌生画廊で開催。「室内楽」「平均律」「厳格なカノン」「覆われた時計」「テアトルへの道」 など新作タブロー26点,ブロンズ3点,木彫1点出品。同展に出品した「室内楽」が、翌年、東京国立近代 美術館に収蔵される。この頃から版画(リトグラフ・エッチング)、木彫作品など多方面にわたり制作を はじめる。

1981年(昭和56年)

1月、小さな油絵と彫刻展がみゆき画廊で開かれ「遠くを見る人」を出品。 2月、第3回明日への具象展に「朝の雲」を出品。この作品は出品後、描き直し加筆したのち82年2月に 完成。同月、第24回安井賞展に「室内楽」と「厳格なカノン」を出品。2点とも安井賞候補となり「室内楽」 が安井賞受賞。3月、雑誌『芸術新潮』に1980年の1月号から12月号まで<バロックの情景>と題して 毎月1点ずつ発表したデッサンと中心に、有元利夫ドローイング展を開く。5月、第5回具象現代展に2点出品。 9月、有元利夫展を彌生画廊で開催。この年3月、画文集『有元利夫 女神たち』と『有元利夫作品集』 (リトグラフ2葉付き)を美術出版社から、9月、銅版画集『12 pieces of Baroque Music』と石版画集『MAGIC』を彌生画廊から発刊。また、同年春、 詩人の矢川澄子に誘われ黒姫に旅行。8月16日には、岡谷の花火と諏訪湖の灯篭流しを見る

1982年(昭和57年)

2月、第25回安井賞記念展に「室内楽」と「会話」を出品。3月、第4回 日本秀作美術展に「朝の雲」を出品。5月、開館30周年記念T、近代日本の美術1945年以降展が、東京 国立近代美術館で開かれ「室内楽」が展示される。9月、有元利夫展を彌生画廊で開催。「ポリフォニー」 「音楽」「ロンド」「春の少女」「光る箱」など29点出品。11月、銅版画集『NOTEBOOK 1982』を77 ギャラリーから発刊

1983年(昭和58年)

5月、第2回美術文化振興協会賞受賞。受賞を記念して、明日への展望― 洋画の五人展が東京松屋、大阪大丸で開かれ「花降る日」「思い出を運ぶ人」「室内楽」など15点出品。 5月、第7回具象現代展に「蜻蛉」を出品。9月、有元利夫展を彌生画廊で開き、版画と立体を発表。 10月、裸体画100年の歩み展が国立国際美術館で開かれ「春の少女」を出品。同月19日、長男利彦誕生。 この年9月、銅版画集『3 pieces de JEUNES FILLES』、銅版画集『8 pieces d'ARLEQUINES』、銅版画集『NOTEBOOK 1983』と石版画集『Les QUATRES SAISONS』を彌生画廊から発行

1984年(昭和59年)

2月、第1回日本青年画家展が日本橋三越で開かれ「7つの音」が出品。 優秀賞を受賞。4〜5月、現代絵画の20年―1960〜70年代の洋画と新しい<平面>芸術の動向展が、 群馬県立近代美術館で開かれ「花降る日」を出品。6月、第8回具象現代展に出品。同月、第6回日本 秀作美術展に「雲を創る人」を出品。9月、有元利夫展を彌生画廊で開催。「七夕の夜」「出現」など 20点を出品。この年5月、銅版画集『一千一秒物語』を新潮社から発刊。9月、『THE WORKS OF TOSIO ARIMOTO 1979-1984』を彌生画廊から刊行。11月3日、入院

1985年(昭和60年)

1月、有元利夫その世界展が渋谷の西武百貨店で開かれタブロー10点、 水彩15点、その他版画、立体などを展示。2月24日、逝去。38歳。追悼特集として『芸術新潮』4月号、 『月刊美術』5月号、『みづゑ』夏号、『季刊銀花』冬号など。9月、銅版画集『NOTEBOOK 1985』発刊記念として、有元利夫1985展を彌生画廊で開催

1986年(昭和61年)

5月、毎日新聞社主催でキャンバスに描かれた室内楽・有元利夫展を小田急 グランドギャラリーで開催。9月、有元利夫展が、未発表作品を含む全版画作品と題して彌生画廊で開かれる。 この年2月、『有元利夫追悼集』が彌生画廊から発刊。同月、画文集『もうひとつの空−日記と素描−』、 5月、画集『有元利夫デッサン集』(銅版画1葉付き)を新潮社から発刊

1987年(昭和62年)

4月から翌年1月まで、空の調べを歌った画家・有元利夫展が、全国美術館 会議の主催で、西宮大谷記念美術館をはじめ、秋田市美術館,山形美術館,盛岡・川徳百貨店,倉敷市立 美術館,坂出市民美術館,西武百貨店渋谷店を巡回。9月、有元利夫素描展を彌生画廊で開催

1988年(昭和63年)

9月、1980年の個展を可能なかぎり再現した有元利夫展を彌生画廊で開催

1989年(平成元年)

5月、有元利夫展を小川美術館で開催。同月、全立体作品を集めた画文集『TOSIO ARIMOTO 1989』が彌生画廊から発刊

1990年(平成2年)

11月、女の四季を描く―現代の精鋭10人展がナビオ美術館で開かれ「光を集める人」 「少女」(版画)、素描、乾漆人形など4点出品

1991年(平成3年)

1〜5月、静寂と詩情・有元利夫展が毎日新聞社主催で横浜そごう美術館を はじめ、エスパースプランタン、奈良そごう美術館、名鉄美術館を巡回。9月、昭和の絵画展が宮城県立 美術館で開かれ「出現」が出品される

1992年(平成4年)

7月、人形―現代の感情展が神奈川県立県民ホールで開催、木彫、乾漆など 4点の立体を出品。10月、日本の近代美術による『花』展が岐阜県美術館で開かれ、「出現」を出品

1993年(平成5年)

4〜6月、情熱の軌跡「夭折の洋画家たち」展が日本経済新聞社主催で大阪 島屋,福岡岩田屋で開かれ、「花降る日」「花降る森」など5点出品

1995年(平成7年)

1月から6月まで毎日新聞社の主催で有元利夫の世界展を開き、茨城県つくば 美術館,ナビオ美術館,豊橋市美術博物館,北九州市立美術館を巡回

1996年(平成8年)

11月、有元利夫展―音楽が漂う絵画の世界が三鷹市芸術文化センターにて開催

1998年(平成10年)

4〜6月、静岡アートギャラリーにて開館1周年有元利夫―時空を超えて内 なる世界へを開催

1999年(平成11年)

2月、小川美術館にて有元利夫展

2000年(平成12年) 2月、小川美術館にて有元利夫展。12〜翌年1月、 静岡アートギャラリーにて油彩画の周辺から―立体造形・デッサンなど−を開催。
2001年(平成13年) 2月、小川美術館にて有元利夫展。8〜9月、静岡 アートギャラリーにて未公開の作品を中心としたドローイングと油彩画―量と線の表現を求めて−を開催。 10〜翌々年1月まで産経新聞社主催による有元利夫展を開催、宇都宮美術館,新潟県立近代美術館, 天童市美術館,東京ステーションギャラリーを巡回。油彩約100点,素描,版画,立体ほか約40点が出品される。
2002年(平成14年) 2月、小川美術館にて有元利夫展。上記巡回展。 4月〜8月、山形・出羽桜美術館にて有元利夫と李朝展を開催。
2003年(平成15年)

2月、小川美術館にて有元利夫展。新日曜美術館(NHK教育)にて 有元利夫を紹介。





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